2016年9月27日火曜日

愛する妻

愛する妻

私は薄汚い人間です

私の醜くて薄汚い性格を聞いても、まだ信じられるか
どうかあなたにジャッジして欲しいのです。

私は貧しい家で育ちました。

父親が9歳の時に蒸発し、兄と私は母親に
女手1つで育てられました。


貧しかった幼少時代
ストーブはなく、勉強机を買うお金もなく、
みかん箱を机代わりにして寒い長野の冬を
過ごしていました。

家が貧乏だった事と父が蒸発した事で、
同級生から馬鹿にされて幼少期を
過ごしました。

そのため私は人一倍お金に執着するようになりました。

しかし貧乏な家に育ち、お金の教育など何も受けた事の
無かった私には、ビジネスで成功する方法なんて
何も解りませんでした。

独立して大成功をおさめるなんて夢のまた夢でした。

長野県にある地元の建設会社に就職し、
営業や現場監督などを20年間やりました。

寝る暇もなくクタクタになるまで働きましたが、
雇われの身で金持ちになれるはずもなく
ずっと貧乏なままでした。

しかし貧乏ながらも愛する妻と娘に囲まれて
人並みに幸せな生活を送る事ができていました。

そして私はいつしかお金持ちになる夢を忘れかけていました。

しかしある日、運命の転機が訪れます。

20年間勤めたその会社が倒産してしまったのです。

さらに、会社の責任者の1人であるという理由から、
私は莫大な借金の一部を背負わされてしまったのです。

1億円の借金を無理矢理
背負わされる凶悪事件に遭遇

したのです。

1億円という法外な借金を背負った私は独立して
成功する以外に道はないと考えました。

しかしそれまで建築現場で営業や監督だけを
20年もやってきた男です。

独立しても成功できる訳がありません。

稼ぎ方もビジネスを回す方法も知らなかった私は、
毎日睡眠3時間でボロボロになるまで働きました。

しかし…借金は減らないどころか、増え続ける一方でした。

しかしある日、特殊なビジネス手法に出会い
私の人生は180度変わります。

一生返せないと思っていた1億円もの借金を1年足らずで
返済する事ができたのです。

バーチャル・ビジネスとの出会いです。

私はアメリカに在住するサンダルコピーライターTMと
出会いは一緒に仕事をする事でバーチャル『だけ』で
数十億円を稼ぎ出しました。

人と会わずに自分の寝室で
匿名で大金を稼ぐ方法

私にサンダルコピーライターTMを教えてくれた
アメリカのパートナーとは、お互い顔も会わせる事も無く
メールとスカイプだけで、つまり完全にバーチャルで
連絡を取り合っていました。

今も彼とは連絡を取り合っています。

つまり会社に出勤する事も無く、社員とも会わずに
年収5億円もの大金を稼いだのです。

夢ではないかと思い鏡の前で何度も
自分のほっぺたをつねった程です。

バーチャルビジネスをマスターした私の収入は
雪だるまのように膨らみ、ついには年間5億円を
稼ぐまでになりました。

大学卒の男性の生涯年収が2億8000万円ですので、
その約2倍の金額をわずか1年で稼ぎ出すせるまでに
なったのです。

しかし有頂天になってしまった私は、
ここで人生を大きく踏み外しました。

みかん箱を机にして勉強して育った貧乏人間でしたので、
大金を手に入れた途端に人が変わってしまったのです。

5億円を稼ぐようになった私は、高級外車を乗り回し、
高級時計と高級ブランドに身を包み、家族を日本に置いて
一年中世界を旅するようになりました。

正直にお話しないとフェアではないと思いますが
すべてさらけ出しますが、愛する妻がいるにも関わらず
独り暮らし用の高級マンションを借り、若い愛人を連れ込み、
毎日複数の愛人をとっかえひっかえして気持ちが良い行為に
ふけるようになりました。

私は、貧乏な会社員だった頃からずっと
支えてくれていた妻と娘を裏切ったのです。

そしてある日、愛人とのメールのやり取りを
奥さんに発見されてしまい離婚届けを突きつけられました。

愛人との浮気メール発覚
妻から離婚要求、破産への直行便

離婚から私の人生は破滅に向かいました。

せっかく貯めた預金が見る見る減り続けました。

信頼していた社員に絶望的な裏切りを受け、
お金を持っている時は一緒にいてくれた
友人達がどんどん離れていました。

信頼する友人に強く止められたにも関わらず、
ハイエナのように集ってきた『自称プロの投資家』の口車に
そそのかされ、他人を巻き込んだ海外への
大規模な投資を行いました。

そして大暴落してすべてを失い、信じて投資してくれた
友人達にも多大なる損害を与えてしまいました。

何億円もあった預金は底をつきかけ、
私は医者に『うつ病』と診断されました。

首つり自殺が『ベター』

毎日、楽に死ねる方法を考えていました。

首つり自殺が一番楽に死ねるという記事も読みました。

すべてを失った私は、毎日死ぬ事だけを考えていました。
自殺サイトを毎日チェックしていました。

何ヶ月もベッドから出れない寝たきりの日々が続きました。

「なぜこんな結末になってしまったのか?」…

私は一人ぼっちで考えました。

そして1つの結論に辿り着きました。

それは、私が両親にされた事を繰り返していた
事実に気が付いたのです。

この事はずっと私の胸だけにしまっていたのですが..

私が幼い頃、

お母さんは見知らぬ男の
お世話になっていたのです…

ある男性が私の家に毎日出入りしていたのです。

父親が蒸発してしまい経済的に苦しかったため、
他の男性のお世話になっても仕方がないと、
今では納得できるようになりましたが、
幼かった私は母親を許せませんでした。

いつしか母親を恨むようになり、その気持ちが
エスカレートして世の中の女性すべてを
恨むようになりました。

私はその恨みを…

愛人を毎晩交換して
2個とも空っぽになるまで
毎日スッキリ…

するという行為により発散させていたのです。

これでは見知らぬ男性のお世話になっていた
母親と同じです。

離婚により愛する娘と離ればなれになりましたが、
結局は、私を捨てて蒸発した父親と同じ事を
自分の娘に行っていたのです。

私は両親がした事を、自分の妻と娘に
繰り返していたのです。

本当に愚かでした。離婚を要求されても
当然だと思います。

「こんな最低の人間はいなくなった方が良い」
と思い、何度も私は死ぬ事を考えました。

首つりが良いのか、睡眠薬が良いのか、溺死が良いのか…

死ぬ方法だけを考える毎日が続きました。

しかし、そんなどん底の私を救ってくれたのは妻でした。

私は複数の愛人を作り裏切ったにも関わらず、

元妻は私にこう言いました…

ある日、妻から連絡がありました。

「妻と2人の娘を裏切った行為を許せない気持ちは
まだありますが、過去を未来にひきずって生きたくはありません。
お金も慰謝料ではなく長年仕事をしてきた報酬だと
思っていましたが、もう慰謝料の話はなかった事にして下さい。
あなたを許しますので幸せになって下さい」

こんな手紙でした。

私はこの手紙を読んで涙が出ました。

私は自分の父親と母親を許す事ができなかったのに、
妻はすべてを許してくれたのです。

私はこの手紙を機に変わる決断をしました。

両親を許し、過去を未来に引きずらない覚悟を決めました。

そうです、

愛する妻
↓↓↓
http://mof9.com/17.html



0 件のコメント:

コメントを投稿